辻本好子のうちでのこづち

No.038

(会報誌 1998年2月15日号 No.90 掲載)

セカンド・オピニオンのシステム化で患者の自立支援

聖人君子を求めすぎていませんか

 いまや患者が医療を選ぶ時代、とはいえ何を基準に選べばいいのか。電話相談からは、①患者の知る権利が尊重され、②わかりやすい説明があって、③プライバシーを大切にし、④「嫌!」「ちょっと待って」と拒否や前言撤回も遠慮なく言えて、⑤セカンド・オピニオン(別の意見)を患者の当然の権利と考える、そんな医療者や医療機関と出会いたいという欲張りな本音が届きます。
 死の恐怖から逃れ、苦痛からも解放されたいと願う究極の患者の思いの一方に、腕が確かで、責任感も強く、親切で丁寧、しかも思いやりがあって、意に添わない別の治療法も平然と示し、しかもわかりやすい説明をしたうえで患者の自己決定を促す……、そんな完璧で聖人君子のようなドクターがほんとうに存在するのでしょうか。
 ドクターも感情をもった人間です。能力にも限界があるはずですし、ミスをすることだってあるでしょう。陽気で話好きな人もいれば、陰気で話下手の人もいる。いつも優しい人だと思っていても、虫の居所によって機嫌の悪いことだってある。もっとも医療現場も、建前の裏には患者の知る由もない本音や悩みが多く隠されているところのよう。それだけに「患者のため」といわれても、妙に嘘っぽく聞こえてしまうのも事実ですが……。

主治医制を補うシステムとして

 じつは患者のニーズといっても、決して“ひとくくり”で語り切れるものではありません。幅広い年代層や多様化する価値観などで、期待や望みは果てしなく広がるばかり。権利意識の高い人もいれば、自分さえよければそれでいいという患者だっています。限界や不確実性を抱えた主治医が、担当した患者のすべての要求に応えようとすること自体、すでに限界がきています。電話相談で「主治医がどんなに真剣にアナタのためって言ったって、しょせん他人事(ひとごと)じゃないですか」と言ってのけた若い世代に、私は圧倒される思いを抱かされたことがあります。
 こうした主治医制の欠点を補う意味から、日本の医療現場でも10年以上も前からチーム医療の模索がおこなわれています。しかし、残念ながら欧米の一部の国々のようには根づきません。その理由の一つには、「権威に弱い」という国民性があるからかもしれません。たしかに長い歴史が、主治医制が決してパーフェクトな医療ではないことを物語っています。それでも、どうしても主治医制の長所が捨て切れないのであれば、主治医個人の能力の限界を超える患者のニーズを補う具体的なシステムを新たに模索することが必要なのではないでしょうか。
 とくに、いま患者が要求する①十分なインフォームド・コンセント、②患者個別性の尊重、さらには③主治医の指向性の偏りに対する補充(かかりつけ医や違った意見をもつドクターヘの紹介ルートの確保)といったセカンド・オピニオンの医療システムが提供されることで、患者自立の足がかりとなって、漠然とした期待や依存、誤解を抱かずにすむと思います。百年に一度あるかないかの医療大改革のとき。たしかに患者にとっても自助努力、自己責任が求められる威しい時代。
 “こんな支援があれば自立できる”という患者への具体的な支援策として、主治医以外に話を聞いてくれる別のドクターと向き合える医療を望む声をさらにあげて行きたいと思います。