辻本好子のうちでのこづち

No.037

(会報誌 1998年1月15日号 No.89 掲載)

セカンド・オピニオンのシステム化を!!

 昨日までもてはやされていた治療が今日は過去のもの、なんてことは医療現場では日常茶飯事。たとえば、夢の治療法だった人工透析のつぎは腎移植への期待がふくらみ、以前は入院して手術していたポリープもいまは内科外来で簡単に内視鏡で切除できます。脱毛や嘔吐の副作用に苦しむことが当然とされ、大いに期待された抗がん剤治療も最近になって効果のほどが疑問視され始めるなど。
 日進月歩の医療に“唯一絶対”の治療方法はない!と、多くが認め始めているにもかかわらず、相変わらず電話相談には「主治医から勧められた以外の治療法があることを他人(ひと)から聞いて、別の医者の意見を聞いて確かめられないか?」と、いわゆるセカンド・オピニオンを求める声が増えています。
 ようやく患者たちが当たり前の要求をするようになった背景には、患者の権利意識の向上や根強い医療不信、さらには医療情報開示の功と罪の影もチラホラしています。それ以上に患者の意向などまったく無視した、旧態依然の医療者主導型の医療現場が目の前にハッキリ浮かんできます。

富士見産婦人科事件の教訓もウヤムヤに

 18年前、世間を騒がせ、医療不信を募らせた「富士見産婦人科事件」を覚えていらっしゃることと思います。院長の夫である事務長が(そもそも医者でもないのに)婦人科医の振りをして女性たちを診察。「早いとこ手術しないと大変なことになる」と脅かし、子宮や卵巣を片っぱしから切除。被害女性が続出したことで発覚した事件です。ところが診断後に《私のからだのなかでそんな異変が起こっているとは思えない。なんだかオカシイ!》と、直感と疑問を感じた一部の女性たちが別の医療機関を再受診。もちろん何の異常もないことがわかって、危うく難を逃れました。
 病気でもないのに大切なからだの一部を奪われ、後遺障害に悩んだ被女たちは、その後の裁判でもさらに二重三重の被害者構造に置かれたことはいうまでもありません。多くの支後者が立ちあがり、セカンド・オピニオンの必要性も議論され、社会問題にまで発展しようとしたはずだったのですが……。自分の身を自分で守る患者の“権利と義務”の問題は、いつの間にやらウヤムヤのまま立ち消えとなってしまいました。

患者から議論を巻き起こしましょう!

 さて現在、セカンド・オピニオンを求めるときに患者が悩むことは、①前医にわからないようにするには?②後医に(セカンド・オピニオンであることを)言うべきか否か?③検査が重複する肉体的、精神的、経済的負担④検査データやCTなどの写真が借り出せるか?⑤検査データを借り出したあとでも前医に戻ことはできるか? など。しかも不思議なことに「なにもそこまで遠慮することはないのに……」と気の毒に思うほどに罪の意識にさいなまれた相談がほとんどです。
 自分のことを自分で決めるということ自体、決して簡単なことではないうえに、誰にも彼にもできる相談ではありません。それでもやっぱりセカンド・オピニオンを望んで行くのなら、誰かが何とかしてくれるのを待つのではなく、どうシステム化するかの議論を患者から巻き起こして行くことが必要ではないでしょうか。いまや医療を変えるのは、患者なのですから!
 たとえばセカンド・オピニオンの診療報酬や検査データのコピーやレントゲンフィルムなどの借り出し料をどうするか、前医と後医の意見が食い違ったときは……。つまり自己決定に伴うリスク、さらには医療の限界性や不確実性をどう受け止めるかといった問題について、患者が「どうしたいか?」の声をあげることが、いまこそ必要です。
 どうぞ、皆さんのご意見をお聞かせください。