辻本好子のうちでのこづち

No.175

(会報誌 2009年10月15日号 No.230 掲載)

“覚悟”についてくる“本気”

 前号の「覚悟」について、これまでにない多くの反響をいただきました。直接、間接に届くどれもが「同感!」といった賛意。なかに『覚悟が難しい……と言っているうちは、世の医療の改善はまだ難しい』というご意見も。大いなる励ましと、ほんとうに嬉しく思っています。その後もしつこく、愚直に「覚悟」とはなんぞやと考え続けているのですが、ある看護の学会で「覚悟」の想いをさらに深めてくれるできごとがありました。

患者を“事例”扱いに強い違和感

 3日間の学会の最終プログラムのシンポジウム、テーマは『その人らしく輝けるために』で4人のシンポジストの一人として発言の機会を与えられました。2000人収容の会場の6〜7割の席が埋まるなか、2人のナースにつづいて「患者の主体的医療参加とは」について15分間語るのが私の役割。限られた時間ではありましたが、患者の主体的医療参加がなぜ必要かを冒頭で語り、COMLを立ちあげるに至った強い想いと活動の目的を説明し、あとはいつもの持論を展開して、最後の発言者であるドクターにバトンタッチしました。
 最初の発言は、いまは教職のお立場ながら、その昔、在宅看護の現場で出会った患者さんの自立を支えたエピソードを語ったナース。その内容はじつに感動的、まるでドラマのようでした。患者さんは、生活保護のお金が入るとその日のうちにパチンコ屋と焼肉屋に行ってすべてを使い切ってしまい、どうにもならない慢性疾患を抱えて自暴自棄。そんな高齢男性の患者さんを日々励まし、いかに支えきったが……という報告でした。ときおり会場のあちこちから、鼻をすする音まで聞こえてきました。
 4人それぞれの発表が終わって会場との質疑応答に移り、私たちは壇上に並ばされました。どこのシンポジウムでも同じような状況になりがちなもので、やはりこの日も「時間が押しており、あまり時間はございませんが、どなたか?」と司会者の促しで一人の女性がマイクの前に立ちました。そして、「○○先生にお伺いしたいのですが」と、最初の感動的なエピソードを語った発言者を指定した質問をしました。
 どうやら現在、在宅支援の看護現場で仕事をしているナースのようで、ベテランとお見受けしました。いきなり「現在、私が抱えている事例なんですが」と始まり、質問内容は担当する男性患者の困りごと。まさに発表と同様の“扱いにくい、困った患者”のようで、どんなに一生懸命支えても一向に生活を変えてくれない、言うことを聞いてくれない、ほとほと手に余って悩んでいる、ついてはぜひとも良いアドバイスを……という趣旨でした。そして、質問の最後に「もし、ほかの先生方も、良いアドバイスがあればよろしくお願いします」と思いついたように言葉が添えられました。“先生”をご指名であれば、患者の立場の私が回答する役割ではないと他人事のように聞いていました。
 ただ、正直な気持ちを言えば、質問の冒頭部分の「事例」という表現を聞いた瞬間、強い違和感と反発を抱き、突然、私の心にシャッターが下りていました。長い人生を歩いてきた“その人”が、娘ほどの歳のナースに事例扱いされていることに、言いようのない痛みを感じたのです。その後につづいた質問者の言葉ばかりか、格調高い(はずの)専門家のアドバイスも空を舞っているだけでした。
 ところが突然、座長から「辻本さんも、もし何かあれば……」と振られ、わずかに迷いましたが意を決し、冷静であれと自らに言い聞かせながら、つぎのような話をしました。
 「私は患者の立場として質問をお聞きしたのですが、最初の“事例”というお言葉に強い違和感を覚えました。医療界で当たり前に使われている用語であることは重々承知しています。ナースに限らず、事例や症例扱いをする医療者の無意識の姿勢や眼差しに、素直になれない感情を抱く患者が少なくないことを申しあげたいと思います。もちろん、患者の前で“事例”とおっしゃることはないでしょう。しかし、患者は理屈を超えた感情の部分で、事例や症例と扱われていることを察知すると、勝手に被害者感情を膨らませてしまうことを日々の電話相談で教えられています」
 ……と語ったこの辺りから、会場に重苦しい空気が漂い始めました。もちろんキツイことを言っていることは承知、どんな反発があっても受けて立つ覚悟もしていました。しかし、<本気で語れば、必ず気づいてくれる人はいるはず!>と信じてもいました。そのときです、あちこちで深いうなずきが起こり、幾人かの人の拍手が聞こえてきたのです。私は急に目頭が熱くなりました。
 ただ、本心を言えば、その後に「患者は目の前の医療者の“本気さ”を結構見抜いているものなんですヨ」と言いたかったのですが……。

 覚悟を決めれば、本気にならざるを得ません。本気になると自らの行動も、また、本気さを受け止めてくれる相手の心にも、わずかでも変化の兆しが起こり、それがきっかけで何かが変わり始める……。「覚悟と本気と行動」のトライアングルパワーを実感した、ささやかな体験のご報告です。
 ただ反省すべきは私の発言の仕方。とくに本気になると熱く語る癖あり、どうも医療者を緊張させてしまうようです。せめてもう少し、柔らかく語れる術を身につけたいものです。