辻本好子のうちでのこづち

No.154

(会報誌 2008年1月15日号 No.209 掲載)

私と乳がん(68)

高(ハイ)リスクでも気が向かない婦人科受診
必要最低限の検査でチェック

 2006年が明けて術後4度目の正月を迎えたこの頃には、私の日常はすっかり以前のまま、いや、それ以上に忙しい日々が戻っていました。体調もすこぶる良好で、ややもすると乳がんに罹患したことすらまるで他人事のよう。それでも毎朝、ホルモン剤を服用するときと、入浴の際に胸の手術あとを目の当たりにするときだけは、いやおうなしに「病の持ち主」であることを自覚させられはしましたが………。とはいえ、それもこれも、再発も転移の兆候もないからこそ、こんな悠長なことが言っていられるわけで、文字通り“有難い”ことと感謝の思いがしみじみと募る日々でもありました。
 術後4年目に入ってからも3ヵ月ごとに受診し、血液検査は丹念にチェックしてもらっていました。ほかにも念のためということで、CT検査、骨シンチ、MRI、マンモグラフィ検査などを主治医と相談しながら適宜、適時、必要に応じて受けてきました。主治医は無駄な検査は必要ないという明確な意識を持った人。私自身もあえて“探そう”という気持ちを持ち合わせていなかったこともあって、いわゆる相性の良い関係だったと、これもまた感謝です。
 ただ反省すべきは、婦人科における子宮がん検査を怠っていること。ホルモン剤のリスクの高位に子宮がんがあげられていることもあって、主治医からは「年に一度の検査を受けるように」ときつくお達しを受けているのですが、どうも気が進みません。それでもこの5年間に2回、抗がん剤を服用し始めた1年後と3年目の夏に婦人科を受診して子宮頚がんと体がんの検診を受けました。

受診を拒み子宮がん末期だった母

 じつは10代のなかばに母(享年58歳)を子宮がんで亡くしています。明治生まれの女性特有の羞恥心もあったのでしょう。周りの心配に耳を貸そうとせず、なかなか婦人科受診をしませんでした。どうにもならないまでに体調を崩して受診したときには、すでにとき遅し、手のつけようのない末期でした。手術はできず、当時、最新治療といわれたコバルト照射を大学病院に入退院して受けていました。高校1年生だった私は、よく学校の帰りに病院に母を迎えに行き、通院の帰路に付き添いました。JRが国鉄だった時代、汽車の車両の椅子は硬く、身の置き所のないほどに辛そうな母の険しい表情と向き合ったときの声の掛けようもない息苦しさが、今も脳裏に焼きついています。
 「家で死にたい」という母の強い希望で2階の私の部屋が病室となり、近所の産婦人科のお医者さんの支えとともに壮絶な最期を家族で看取りました。母が亡くなったあと、ずっとしばらく、なんとも形容のしがたい腐敗臭が部屋に染みついていたことを忘れることができません。そんな母の最期を看取った二人の姉は、その後、神経質なほどにきちんと毎年子宮がん検診を受けていたようです。いわば私自身のがん体質に加えて母から受け継いだ遺伝子、ホルモン剤を服用している限り子宮がん罹患率はハイリスクの私。つねに多少の不安を抱えつつも、なかなか婦人科受診ができない。やはり『賢い患者』になるということは、言うほどに容易なことではないとつくづく実感させられています。

安心して受けられる検診先の情報がない

 1回目の婦人科受診は手術を受けた病院。放射線科の定期受診の折、次回受診時に一緒にと予約の手続き。ところが3ヵ月後の初診と、1週間後の検査結果の説明のときも、あまりに冷ややかなドクターの態度に強い違和感を覚えてしまったのです。たしかに急性期医療を担う大きな病院で、しかもすでにその頃から産婦人科は忙しい診療科だということも重々承知していました。しかし、手術を受けた病院でもあり、放射線科も受診しているのです。子宮がん検診だけ別の医療機関を探して受けるという二重の手間は、できれば省きたい気持ちも正直ありました。ところが、わずか数分の診察時間とはいえ、最初から最後までドクターの対応の端々から<この忙しいときに、検診ぐらいで来るな!>と言わんばかりの拒否感が嫌というほど伝わってきたのです。まるで叱られているようで、そのときの気持ちがある種のトラウマになってしまい、翌年はついつい行きそびれてしまいました。そして3年目の夏、主治医に促されて、術後1年目に主治医が転勤した先の病院で検診を受けて「異常なし」。昨年もサボってしまったので、5年目を越えた今は……と思っているところです。
 いわばハイリスク群にいる私が、毎年きちんと子宮がん検診を受けられない理由を考えてみました。やっぱり『開業医の情報がない』こと。COMLに身を置き、与えられる役割からしても、誰よりも情報に近い位置にいるはずの私なのに、です。もちろん地域開業医の情報は、インターネットで簡単に入手できるようになりました。自らをPRするホームページを開ければ、院長の顔や医療機関の外観などが目に飛び込んできます。しかし、血肉の通わないコンピューター画面からはドクターの人柄までを窺い知ることはできません。
 「かかりつけ医」問題が再浮上する昨今、患者のリテラシー(情報を読み取って活用すること)をどう高めるか。新たなCOMLの活動の課題に位置づけねばと、自らの体験から学んだことの一つです。