辻本好子のうちでのこづち

No.127

(会報誌 2005年10月15日号 No.182 掲載)

私と乳がん㊶

安易な自己決定だったと後悔
激しい副作用に見舞われて

 血液検査の結果を検討したうえで、抗がん剤点滴の日を改めようという主治医の提案を押し切り、無理強いして打ってもらった5回目の点滴のあと。これまでと同様、当日はそれほどでもないのに、翌日からの副作用反応は比べようもないほど強いものでした。丸まる2日間、ほとんど身動きのできない苦しさになすすべもなく、ただ嵐の通り過ぎるのをじっと耐えて待つ、といった気分でした。
 2日目の明け方、激しい吐き気に襲われて目が覚め、トイレに立とうとするのですが足元がふらついて起きあがれないのです。しかし、吐き気は容赦なく襲ってきます。それでもからだを起こそうとするとスゥーと血の気が引いて、貧血のときと同じような状態です。これまで4回の点滴のあと、一度だってこんな状態になったことはありません。むしろ回を重ねるごとの経験で、それなりに対処法を身につけた妙な自信もあったので、<エッ、どうしたの?>と戸惑うばかりでした。
 初回の抗がん剤治療の夜、枕元に洗面器やタオルを用意して、何があっても大丈夫と万全の体制を整えました。しかし、一度も必要なかったので、今回の枕元には何の用意もしてありませんでした。必死にトイレまで這ったのは、<布団を汚すと、あとが大変!>という気持ち。ともかく苦しくて、苦しくて、生まれて初めて<死んだほうがまし>と思いました。
 どれくらい吐いていたのか……。気がついたときは、トイレのドアの前でうずくまっていました。かなりの時間が経っていたのでしょう、9月初めというのに手足が氷のように冷え切っていました。目を開こうとしてもまぶたが重くて、どうしても開けられません。自分のからだのどこもかもが、自分のものではないのです。どんどん深い暗闇に引きずり込まれていくようで、<このまま死んじゃったら、どうしよう……>と初めて、震えるほどの強い不安に襲われました。
 それからの2日間は冬眠中の熊のように、じっとしたまま身動き一つできませんでした。一瞬だけ「助けて!」とSOSをしようかと思ったのですが、誰であれ、この状況を何とかすることなどできるはずもないとあきらめました。それでも<誰か、そばにいて欲しい……><手を握ってくれるだけでいいから……>と、人のぬくもりが恋しくて涙が溢れてきました。そして、<あぁ、やっぱり主治医の忠告を素直に聞いておけばよかった>と悔やみ、果ては<抗がん剤治療なんか受けるんじゃぁなかった!>と強い後悔にも襲われました。
 たとえば誰かが強要したことなら、その人のせいにすることも、うらみつらみをぶつけることもできたでしょう。しかし、なんと言っても、主治医の忠告を振り切って私が決めたことの“結果”です。いまさら誰のせいにもできないばかりか、もって行き場のない怒りさえ感じていました。

つらくて初めて大声で泣いた

 どうして、あのとき、確かめなかったんだろう……という後悔です。たとえば創作料理の店で珍しいメニューを見つけると、店員さんに「材料は何?」「どうやって調理するの?」「スパイスは?」と根掘り葉掘り質問攻めにする私です。想定外のことだったり、少しでも疑問があれば「なぜ?」「どうして?」を連発して、しつこいほど追及するのに、主治医から「今日はやめておこう」と言われた瞬間、理由をただすよりも先に仕事を優先したい気持ちに支配されていました。
 うかつにも、その理由も聞かなければ、もしそれでも点滴を打てばどんな状況が待ち受けているかの確認もしませんでした。もちろん説明を聞いていたからといって、必ずしも素直に点滴中止を受け入れていたかどうかはわかりません。でも、ひどい吐き気や貧血に襲われるかもしれないと聞いていれば、それなりの覚悟と準備はできていたと思います。
 理由も確かめず、納得もしていないのに、目先のことにとらわれて、安易な自己決定をした自分をひたすら責めつづけました。そして、愚痴ひとつこぼせないまま、ただ耐えるしかありませんでした。その一方で、この苦しみに耐えることが、自分で決めたことの責任を取るとことなんだと自分に言って聞かせ、懸命に<ガンバレ、ガンバレ!>と自分を励ましていました。
 このときだけです、乳がんといわれて以来、初めて声を出して泣いたのは。誰にはばかる必要もない一人住まいですから、自分でも恥ずかしいほど大きな声で「もう、いやだぁ〜〜」と、何度も何度も泣きながら叫びました。ただ不思議なことに、思いっきり弱音を吐いたら、不思議なほどスゥ〜と気持ちが楽になりました。いまも思い出すたびに涙が出そうになる、貴重な体験でした。
 そして5日後、無事に仕事に復帰する私の日常が戻ってきました。しかし、ひどい口内炎と真っ白なコケが舌をおおってザラついた強い違和感がなかなか消えず、さすがの食いしん坊の私にも一向に食欲が戻ってきませんでした。さらに38度2、3分の微熱がしばらく下がらず、不安な日々が続きました。
 そうして、その3週間後、ついに最後の点滴の9月25日がやってきました。

※上記は、3年前の2002年の体験です。