辻本好子のうちでのこづち

No.094

(会報誌 2003年1月15日号 No.149 掲載)

私と乳がん⑧

私の知らない間の術中・術後について、山口育子の分担執筆ということで……。

術後の説明

 13:30過ぎから、手術室前の家族控え室で息子さんたちと私の4人で待機。私たち以外にも2組の家族が待っていて、待合室はいっぱいだった。
 手術は2時間と聞いていたので、遅くとも16:00ごろには手術後の説明があるものと何の疑いも抱いていなかった。だから2時間ぐらいは4人でなごやかな雰囲気で話をしながら待っていた。その間、その病院に勤める知り合いのナースOさんが一度、様子を見に来てくださった。手術室とのつなぎ役をしてもらえるので、いまどのような状況なのかがわかり安心できた。しかし、ほかの家族は、どういう状況なのか、いつ終わるのかもわからず、皆さん時間とともに苛立ってくる様子がうかがえた。
 16:00を過ぎたが、一向に終わる気配がない。私たち4人の会話はかみ合わなくなり、落ち着かなくなってきた。そこへOさんが再度様子を見に、手術室へ。手術室から出てきたOさんの険しい表情を見て嫌な予感がし、思わず駆け寄った。
 「郭清しているから、時間がかかっている」——その一言に「まさか」と思い始めていた危惧が現実となったことがショックで、私の表情も険しくなるのを感じた。こんな大事な情報を私が独占しているわけにはいかない……、かといって息子さんたちにとってはショックだろう………とさまざまな思いが頭を駈け巡る。しかし、やはり伝えるのが私の役割。すぐ2人にリンパ節郭清の意味を説明し、手術がどのような状況になっているかを伝えた。
 17:00過ぎ、ようやく手術が終わり、家族説明になった。説明のための部屋はほかの家族が使用中だったので、私たちは狭いスペースで立ったまま説明を受けることになった。執刀医(指導医であり外来主治医)と私たち4人が入ると足の踏み場もなくなり、カーテンを引いた隙間から病棟婦長と研修医である主治医が覗き込むという形で説明が始まった。
 主治医が摘出臓器を入れていた膿盆から、執刀医が摘出した乳房の一部を取り出して見せながら説明が始まった。まず舟型に切り取られた皮膚つきの摘出部分を示し、「くりぬく形で摘出し、温存手術ができた」と説明があった。そして摘出部分を裏返し、薄くピンクがかった灰色のがんの部分も見せてもらった。そしてつぎに、「センチネルリンパ節(※1)を術中迅速診断(※2)したところ、転移が見つかったので、リンパ節郭清をしました。リンパ節のレベルⅠ〜Ⅲ(※3)のうち、レベルⅠとⅡを取ったのがこれ」と言いながら、脂肪組織ごと取り出したリンパ節を揉むようにして「複数の転移があると思うけど、標本にして調べてみないと、はっきりした個数はわからない」とのことだった。「摘出したものをよく見せてほしい」と頼み、皆でじっくりと見て、ドクターにあれこれ質問をした。
 最後に、「今後の治療はどのようになるのですか?」と尋ねると、「術前に言ったとおり、化学療法と放射線治療。化学療法はリンパ節転移が見つかった以上、避けられない。だから1年間は、仕事なんてできないよ」。断定的な語調に一瞬言葉にならず「は?」と尋ねると、「だって、辻本さんは人前に出る仕事でしょう? 完全に脱毛するのに、その姿で人前に出られる?」と。切り捨てるような厳しい言葉に、思わず目頭が熱くなり、うつむいてしまった。すると、すかさず主治医が後ろから、「だいじょうぶですよ。いまはいいカツラがあるから! 一見カツラとわからないぐらいで、皆さんうまく利用されていますよ」。その言葉と希望を持たせてくれるさわやかな明るい表情に、私は救われた思いがした。その横で、とても心配して共感的な表情で病棟婦長も寄り添ってくれていた。
 そこで気を取り直し、「化学療法は、どのような薬を使うのですか?」と尋ねると、ひとこと「フェック(CEF)(※4)」。それ以上は、この場では聞けないなという雰囲気だった。「本人には、いつ説明があるのですか?」と聞くと、「明日の朝、7:00か7:30ぐらい」。「そのとき、付き添ってもいいですか?」というと、とてもあっさりと「いいよ」と承諾してもらえた。
 次男君は少し医療のことを知っているので、説明に出てくる専門用語なども受け止めていたように見えたが、長男君は途中からうなだれ、説明が終了したときには目が真っ赤になっていたことがとても気になった。
 この病院では、手術後は完全に覚醒するまで回復室でケアするため、手術室から出てくるのは20:00を過ぎると言われた。3時間も家族控え室にいても、ゆっくりと話ができないということで、いったん病室に戻ることにした。
 病室に戻り、「きっと、どんな説明だったかと聞いてくるはず。どこまで話すか」「麻酔が醒めた段階で時間を確認すれば、リンパ節転移を疑うだろう」などと話し合った。そして、「誰が、どう話をするか」を話し合ったとき、「僕が長男として伝えたい。でも、ドクターの説明はよくわからなかったから、ポイントを説明してほしい」と明確な意志表示があった。とても責任感のある頼もしい言葉だった。そこで、ポイントをまとめて、センチネルリンパ節や術中迅速診断、化学療法のことなどを解説した。息子さんは一生懸命メモを取り、「やっぱり、一番最初は『手術は成功した』と伝えよう」と全員一致で決めた。そして、今後の治療のことは術後にはハードだろうし、リンパ節の複数転移は調べてみないと明確にわからないことだから、そのことを今日話すのはやめよう。ただ、それでも本人が聞いてきたことには、予定外であっても、きちんと答えようと話し合った。
 その後、息子さんはメモを清書して、一生懸命伝える内容を吟味していた。そして、20:00ごろ、4人で再び手術室前の家族控え室へと移動した。
 20:30すぎ、真っ白な顔をした辻本が、ようやく、静かに手術室から出てきた。皆で取り囲み、ナースと一緒にストレッチャーを押して、病室へと向かった。
 病室に入り、私は、息子さんがメモを見ながら、術後に受けた説明を伝えるとばかり思っていた。ところが、きちんとすべて記憶し、目を見ながら、自分の言葉で伝えている。その姿を横で見守りながら、目頭が熱くなるほど感動を覚えた。(山口育子)

  • (※1)がん細胞がリンパ節転移する場合に、最初に届くリンパ節で、「見張りリンパ節」とも呼ばれる。「郭清」は、すべて除去すること
  • (※2)手術中に取り出した組織を短時間で病理診断し、がん細胞があるかどうか、どの範囲まで広がっているのかなどを調べて、手術の方針を決める
  • (※3)腋下にあるリンパ節を3つに区切った範囲
  • (※4)乳がんの化学療法の1つ。3種類の抗がん剤の頭文字を合わせて呼び名としている