辻本好子のうちでのこづち

No.093

(会報誌 2002年12月15日号 No.148 掲載)

私と乳がん⑦

麻酔から覚めて

 「NEWS23」のオープニングの映像を見ていて、アレッ? この風景、どこかで見たなア……。はるか上の方から差し込む一条の光に向かって、海の底から浮かびあがっていこうとするアングル。あの場面を見るたびに、いつも麻酔から覚める前に見ていたような気がする“夢”を思い出します。
 手術は14:00にスタートした、はず。
 術前に主治医から受けた説明では「およそ2時間の予定」。となれば16:00頃に終了して、麻酔が覚めるのに2時間くらいかかるとして、多分、18:00頃には意識が戻るだろう。自分なりに、そんな予測を立てていました。
 ぼんやり意識が戻ってきて、そっと目を開けてみると、こうこうとまぶしい光が私を包んでいる。ああ、ここは、回復室なんだ——。と、ちょうどそのとき、ベッド脇を通ったナースに「いま何時ですか?」と声をかけたら、「もうすぐ8時になりますヨ」。<アレン! 変だな〜〜?>。麻酔の切れが悪くて、たとえば2時間以上かかったとしてもオ・カ・シ・イ。どう計算しても手術時間が倍ほどかかっている。ぼんやり、そんなことを考えているうちに<ああ、やっぱり転移してたんだ!>。と、そこで一気に意識が鮮明に戻りました。

リンパ節転移に違いない!

 手術が決まったときから、二人の息子にしこりを実感させておこうと計画していました。母親の持ち物である「乳がん」そのものに触れておいて欲しいということはもちろん。それだけでなく、男性としてLOVEパートナーの乳がんを見つける“半分の責任”を、また長男のパートナーには自己検診の重要性を自覚しておいて欲しかったからです。手術室に移る直前、息子たちにしてみれば授乳以来、何十年ぶりかに母親の胸に触れるのですから、当然に戸惑いはあったようです。しかし3人とも神妙な顔つきで、ちょっと尻込みしながらも、しっかりと私のしこりに触れてくれました。気丈を気取った、その裏で、じつは心ひそかに<どうか、どうか、転移だけはしていませんように>と、祈るような心細い気持ちでした。
 そうして臨んだ手術でしたが、結果は私の予想を見事に裏切ったようです。予定以上に時間がかかった(らしい)ということは、おそらくリンパ節まで転移していたに違いない。少しずつ“自分”が戻ってきて、頭だけが妙に冴え冴えとしてくるなかで、<間違いない、そうに違いない!>。そう悟った瞬間、一気にシュンとした気分に陥りました。1年も前から米粒のようなコリコリした触感のしこりを自覚していながら、3回の良性腫瘍摘出の経験から、どうせ今度もまた良性に違いないと放置し、乳がんをあなどってきた愚かさを悔いる気持ちでいっぱいになったのです。
 しかし、いまさら、元には戻れない。ともかく手術で“悪いもの”は、必要な範囲、ザックリと切り取ってくれたはず。<さあ、あとの治療をどうするか、ちゃんと考えなくっちゃ! クヨクヨしたってしょうがない——>。病室で待つ息子たちの心配そうな顔が浮かんでは消える朦朧とした意識のなかで、「オイオイ、好子さん、しっかりしろヨ!」と励ますもう一人の自分を感じていました。
 それにしても寒い、手足が凍りそうに冷たい。手術による貧血状態もあるのだろうけれど、体が小刻みに震えている。「誰でもいいから、早く温かくしてヨォー」と叫びたいような気持ち。このときばかりは、ベッドの周りを忙しそうに走り回っているだけのナースが、なんともうらめしくてなりませんでした。

「愛」に包まれて——

 病室に戻ったのは21:00近く。
 長男夫婦と次男坊、そして山口が、緊張の面持ちで待っていてくれました。私の顔色が「あんまり真っ白で、ともかくビックリした」という次男坊が、ベッドサイドで顔をこわばらせ、突然、冷え切った私の手を両手で包み込んでくれました。<ああ、温かい〜〜><アラッ、この子ったら、いつの間にこんな大きな手になっていたの?>。と、そのとき、もう一方のベッド脇から長男が、これ以上緊張できないといった固い表情で、いきなりモゴモゴと口を開きはじめました。まるで、ひたすら懸命に暗記した芝居のセリフでも言うような顔つきで、私を覗き込みました。
 どうやら主治医から受けた手術後の説明をともかく一言一句、間違わないように、必死に私に伝えようとしているようです。私はその真剣な表情を見た瞬間、なぜか急に胸が熱くなるのを感じました。狭い病室いっぱいに、温かくって優しい“想い”が、精一杯、私を支えようとしてくれていることが痛いほど伝わってきたのです。そして、それまでは息子を見守っている母親の気分を味わっているつもりだったのに、その瞬間、<ああ、私は今、大きな愛に包まれている——><甘えてもいいんだ——>と、心の底からホッとする気分になりました。
 あとから、山口から聞いた話によると、手術直後、主治医からの手術説明を「どうしても僕が伝えたい」ということで、医療に詳しい山口のアドバイスを受けながら、控え室で何度も繰り返し練習したとのこと。正直いって、山口から説明されたほうが簡潔で、もっとわかりやすかっただろうにと思ったものの、長男としての責任をそれなりに自覚して、自ら引き受けた役割を懸命に努力している息子がなんともいとおしくてなりませんでした。