辻本好子のうちでのこづち

No.043

(会報誌 1998年7月15日号 No.95 掲載)

過渡期の現象? 義務と責任を置き去りにして……

対立でなく互いを理解する姿勢が必要

 「自由と権利のはき違え」と題して少年問題について書かれた文で、子どもたちに呼び掛けたこんな一節を見つけました。「一人の人間として大人とつきあいたいのなら、それなりの態度を身につけなければならない。約束を守る、目上の人ときちんと話ができる、変な言葉を使わない、思いやりを持つ、自分で危険から身を守り、自分の責任で行動する。自由と権利にはいつも義務と責任がついてまわる」とあり、そして、さいごに「そうした人権教育をする大人が少なすぎた」という反省が添えられた文章で結ばれていました。
 カルテ開示の検討会でも盛んに信頼関係の重要性が議論されたように、今後、患者と医権者が情報を共有することになれば、これまで以上に「相手をどう思っているか?」が人間関係を築くうえでの重要なポイントになるはずです。たしかに「大切にされている」「否定的に見られていない」と思えば、誰たってガードを固くする必要はありません。ただ、そうした気持ちは、一言や二言で通じるものではなく、粘り強く伝えあっていくしかありません。北風と太陽の童話に登場する旅人と同様、お互いがマントで身を固めて「権利だ」「義務だ!」と言いあっていていいのかどうか。いま一度、互いの姿勢を見つめ直す必要があるのではないでしょうか。

一部の“意識”の台頭に危惧を……

 COMLが目指すバランス感覚は、医療者側にも患者側にも偏らず、どちらにも苦言を呈する冷静な第三者の立場を保つこと。たとえば遠慮と甘えに身を置いたまま「お任せ」から一歩も動こうとしない人には「遠慮せず、勇気を出して、どうして欲しいかを伝えなければ!」とエールを送り、一方で患者の権利ばかりを振りかざす人には、自覚すべき義務と責任があることに気づいてもらえるような言葉をかけるなど。いまも日常の電話相談で精一杯、そうした努力を続けています。
 電話相談もすでに1万件近く。そのときどきの社会における医療問題(たとえばHIV事件など)の刺激を受けて、相談内容や患者の意識が微妙に変化することを痛感してきました。8年前は、どんなに応援しても「偉そうなことを言ったら先生に叱られる」と、諦めきった受け身の患者がほとんどでした。ところが徐々に「こういう医療が受けたい、こんな情報はどこにあるか?」という明確な目的意識を持った相談が増え始め、最近は不祥事の再生産を社会背景に育った若い世代の根強い医療不信感からか、理詰めで医療と対峙しようという威勢のいい医療相談が目立ってきています。老いた親を看取る家族、わが子の医療に関わる親という当事者ではない立場で医療現場に参加し始めた、こうした世代の一部の人の“完璧”を求める姿勢に、私はある種の危惧を感じ始めています。
 これまでタブーだった医療内部の批判や告発が活発化し、医療の限界や不確実性も認めず、インターネットなどで情報が簡単に手に届く時代。情報収集能力の高い世代はそうした情報を手に入れて、医療者と堂々と渡り合える難しい理論展開もできるだけに、相談スタッフがタジタジしてしまうことも少なくありません。
 同世代の医療者の対応を聞けば、これもまた、おおいに問題も感じますが「主治医からは詳しい説明があって8、9割は信頼できるが、1割の“確証”を得たい」ための情報を求めたり、「医者に非を認めさせるには?」「謝罪文を書かせるには?」と意気揚々と迫られるたびに、ほんとうにこれで信頼関係が築けるのかと、妙に不安を覚え始めている今日この頃です。