辻本好子のうちでのこづち

No.165

(会報誌 2008年12月15日号 No.220 掲載)

患者情報室の運営支援を終えて

 先月号でお知らせした大阪府の救急医療対策の“その後”について、残念ながら進展のご報告ができません。担当者に直接電話をして確認したのですが、各委員からの厳しい意見(漏れ聞くところによれば「辻本委員の意見がもっとも厳しかった」とも)で、「ただいま調整中。未だ業者の選定には至っておりません」との返答でした。乞うご期待と申しあげたにもかかわらず、ご報告できず大変申し訳ございません。そこで今回は次の予定としていた別の報告をさせていただきます。

モデルケースとして各地に伝播

 5年前の10月、元国立大阪病院(現国立病院機構大阪医療センター)に『患者情報室』を開設。病院から場所だけが提供され、NPOがモノと人を送り込んだ「日本初のコラボレーション(協働)!」とメディアにも紹介され、当時すいぶんと話題にもなりました。その後、ボランティアの方々の支援を得ながら、書籍やインターネット、製薬会社の寄贈による医療関連パンフレットなどで医療情報を提供。さらには院内の各科専門医などによる病気の基礎知識や最新の治療方法を学ぶ患者のための勉強会、また入院患者さんの娯楽の一環になればと医療やいのちをテーマにした映画の上映会など活発に活動を展開。主体的医療参加を目指す“賢い患者”になるための学びの場の提供に努めてまいりました。
 当時、患者への医療サービスをどう提供すればいいかと模索する全国の病院関係者の興味関心を引き寄せたのか、あちこちから見学に訪れる日々が続きました。その後、次々と各地の病院で形態は異なるものの、患者への医療情報提供の取り組みの展開にもつながりました。また1年近く『患者情報室』でボランティア研修した女性が地元の病院に戻って同様の取り組みをスタートするなど、地味な動きではあるものの確実な広がりを見せてくれました。いまでは各県単位のがん拠点病院に患者が自らの病気を学ぶ場の設置が必須にもなり(設置義務には猶予期間あり)、今後の展開に胸をワクワクさせているところです。

強いご遺志と継承が原動力

 「患者情報室」開設実現の原動力は、何をおいてもCOML理事であった故・井上平三氏のご遺志と由紀子夫人の素晴らしいご支援です。新聞記者だった平三氏が元国立大阪病院に通院するがん患者でもあり、厳しい治療を自ら選択しながら病魔と対峙するなかで「患者が自分の病気を学ぶ場が必要」「自分の患者体験を共有してもらう場を創りたい」と強く願っておられたのです。そうした平三氏の想いを強いご遺志と受け止められた夫人から寄付の申し出を受け、COMLが実働をお引き受けして始まったプロジェクトでした。
 もちろんCOMLとしても永年描いてきた夢でもあることから、お申し出を二つ返事でお引き受けしました。お預かりしたご寄付を「平三患者情報室ファンド」と銘じて開設・運営基金とし、杓子定規とも言える国立病院の抱える数々の難問・課題の高いハードルを越える交渉に努めました。事務担当者が次々と変わり、連携もないまま遅々として進まぬ交渉に我慢に我慢を重ね、じつに多くを学ぶ機会にもなりました。
 『患者情報室』の企画の段階からCOMLの新たな活動の一環に位置づけ、開設後は有給の専属スタッフを送り込みました。スタートから3年ほど、患者への医療情報提供の活動意義と引き受けた以上は……という強い役割認識で努力を重ねてきました。しかし、残念ながら徐々にCOML財政が逼迫状況に追い込まれ、病院との協働に無理が生じてきました。悩んだ末、3年目の時点で「COMLの責任を5年とさせて欲しい」と2年後の撤退申し入れをし、病院も事情を察して了解となりました。こうして『患者情報室』6年目からは病院が活動継続を約束し、その時点で(専任ではないものの)責任者配置の人事があり、業務の引き継ぎなどをおこなってきました。そして、無事、この10月末をもってCOMLとしての役割を終えることができました。
 今後は『患者情報室』の場所を病院正面玄関入ってすぐ右横という、これまで以上に恵まれた立地条件の場に移し、運営も病院が責任を持って新たなボランティア体制へと移行することになりました。11月末に内装工事が終わり、12月1日から新しい場所での活動が展開されています。そして、故・井上平三氏のご遺志を受け継いで運営した「平三患者情報室ファンド」はスタート時の半額を残し、まずは夫人の元へとお返ししたことを最後の報告といたします。

患者の自立の萌芽が

 18年前、「賢い患者になりましょう!」を合言葉にスタートしたCOMLの元に、当時、患者側から届いたのは「そんなこと言ったって無理だよ!」という諦めにも似た声。そして、医療者側からは「これ以上扱いにくい患者が増えてもらっては困る。ゆえに君たちの活動は必要ない!」というお叱りのような声でした。往時を振り返って、たとえば『患者情報室』という患者周辺の変化一つにも、大きな時代の流れを痛感させられます。兵庫の「県立柏原病院の小児科医療を守る会」の地域医療を守るお母さん方の活動。救急引き受けがならず8ヵ所目の都立墨東病院で手術後に亡くなった妊婦のご遺族の「病院や医師を責める気はない。将来、子どもにお前のお母さんのおかけで医療が良くなったと言えるようにして欲しい」という見事なまでに冷静な言葉。患者が自立・成熟の道を辿り始める“萌芽”を垣間見る思いの昨今。ささやかではありましたが、患者情報室というCOMLの活動の一つを終えた報告とさせていただきます。