辻本好子のうちでのこづち

No.160

(会報誌 2008年7月15日号 No.215 掲載)

「安心と希望の医療確保ビジョン」を終えて

医師数増加
歓迎しつつも質の低下を懸念

 今年1月7日にスタートした厚生労働省の『安心と希望の医療確保ビジョン』(前号参照)。半年間の議論を経て迎えた最終日が6月18日。全10回に及ぶ話し合いが、以下のような内容で報告書にまとめられました。
 まず、安心と希望の医療を確保するための3本柱として、
 1.医療従事者等の数と役割
 2.地域で支える医療の推進
 3.医療従事者と患者・家族の協働の推進
 そして、報告書の「はじめに」に高らかと謳われているポイントは、☆政府・厚生労働の権限を拡大せず、現場・地域のイニシアチブを第一とする。☆改革を怠らない、の2点です。
 さらには、「国民も地域医療を自ら支え・守るものであると意識を改革し、医療従事者と連携・協働することが重要となっている」とあり、医師不足問題の喫緊の課題である医師数については、「現状では総数が不足しているという認識の下で対策を行う必要がある」とし、「単に医師数を増やすのみで課題が解決するものではなく、医療従事者のみならず、患者・家族等国民がみんなで医療を支えていく姿勢が求められる」とあります。
 とくに注目されていた医師養成数増加についての具体策として、10年前(1998年6月3日)に医学部定員削減を決めた閣議決定を翻し、舛添大臣は増員の方向性をはっきりと打ち出しました。じつは昨年5月31日に政府・与党がまとめた「緊急医師確保対策」で、最大395名(全国79大学医学部)の増員が可能となっています。しかし、6年の医学部教育と2年間義務化されている臨床研修、そして、その後にそれぞれの専門の道を目指して努力する……となれば、私たち患者の前に現れるまでに10年はかかり、医学生一人に1億円の税金が必要です。たしかに先進国に比べても医師増員は必要かつ緊急な対策には違いありません。しかし、そうした議論の間中、私の心中でザワザワしていたのは<数が増えることで、質の低下が起きなければいいが……>という拭いきれない不安。もちろん「質の低下に不安あり」の私の懸念については、患者側の厳しい意見として議事録にしっかりと残しました。

聞こえてくる哀しいウワサ

 一昨年でしたか、三重県尾鷲市が産婦人科医を年俸5,520万円で募集したニュースをご記憶の方も多いと思います。しかし、着任したドクターは、結局1年後に病院を立ち去ってしまいました。同僚の格差に対する“冷ややかな目”も辛かったと思いますが、年間365日でたった2日しか休みが取れなかった過酷な勤務状況。そして、自治体の首長が次年度の給与を4000万円に値切ったことが原因だったと聞きました。また、泉佐野市のりんくう医療センターでも麻酔科医が激減、年俸3,500万円で募集したところ20人近くが応募。数人を確保したものの、それまで現場で踏ん張っていたドクターたちとの間でひずみが起きているとかいないとか。ちなみに1年契約の非常勤だそうです。さらには東京の有名私学の医学部附属病院の形成外科に20名の後期研修医が新規参入、教授が「将来、美容外科を目指そうとするものは去れ!」と言ったら、残ったのはたった3人だけだった……なんという逸話も耳にしました。
 それぞれの病院の関係者から聞いただけに、それほど真実とかけ離れた話でもなさそう……。そんなあれこれがザワザワの原因だったのではないか、と思っています。
 もちろん、医師養成数増加を決めても、医療現場の現状はすぐに解決できません。その解決策として真剣に時間を費やして議論されたのは、「医師の多様な勤務形態」について。「たとえば週のうち数日は地方の医療機関で勤務するなど非常勤の活用」など。そして、「女性医師の離職防止・復帰支援」の具体策として、短時間正社員制度や出産・育児への配慮、院内保育園の整備・充実、復職研修支援など。「チーム医療」については、ナース、薬剤師などドクター以外の職員(コメディカル)の活用でチーム医療を徹底し、交代勤務制の導入促進、職種間の協働やチーム医療の充実を図るなどとしています。ただ、医科でも麻酔をかけられるようにと話題になっている歯科麻酔医師の業務見直しについては、今後の検討課題のうちの一つとして積み残しとなりました。
 そして、COMLとしてもっとも関心の高い「地域で支える医療の推進」の、私たち患者に期待される項目については次号の報告とさせていただきます。

絵にかいた餅にならないように!!

 広辞苑の『ビジョン』には、「心に描く未来像、展望・見通し」とあり、また一方には「視覚、幻影」とあります。後期高齢者医療制度が政争の具と化し、後期高齢者終末期相談支援料は一時凍結、そして社会保障費の2,200億円削減も当面廃止、さらには地方行政が逼迫するなかで地域医療計画も1年先送りになるなど、医療を巡る政治のブレばかりが目立ちます。
 しかし希望や夢を実現につなげるためには財源が必要。ない袖を振っても何も出てきません。ガソリンばかりかスーパーの棚に並ぶ食品のすべてが次々と値上がり、その一方で食品加工偽装問題も後を絶ちません。霞ヶ関の官僚のモラルの低さを聞くにつけ、いったい何を信じたらいいのか……。そんな不安や怒りが高まるなか、ここぞとばかりに消費税率アップの議論がチラホラ。そういえば道路財源問題はどうなったのでしょう? 政局は洞爺湖サミット一色で一時休戦状態ですが、与党から野党に政権が変わることでほんとうに何かが変わるのでしょうか?
 患者の行く先の医療はまさに混沌、そして、相変わらず不透明なまま。それだけに議論に参加し、熱い想いも語った者として強く願うことは、安心と希望の名の下に国民に公表された医療の未来像である「ビジョン」が“画餅”(がべい)に帰さぬこと!! ただ、それだけです。