辻本好子のうちでのこづち

No.146

(会報誌 2007年5月15日号 No.201 掲載)

私と乳がん(60)

心の余裕はヒト・モノ・お金
“サービス”が変えた患者の態度

 雑用を任せられるスタッフが診察室内にいるというだけで以前より柔らかくなった主治医の表情に私の気持ちまで和み、改めてドクターが診療に専念できる環境の重要さを感じました。
 医療界にも合理化、効率化の波が押し寄せ、IT化に伴った人減らしが進んでいる頃です。電子カルテを導入したら診察室にナースの配置は必要ないとばかり、外来がどんどん手薄になっていました。「診察中の雑用まで全部やらなきゃならない」と嘆くドクターの声が、あちこちから聞こえてくるようになっていた頃でもあります。一方では患者のニーズは高まるばかり。なにしろ、1995年の厚生白書が「医療はサービス」と謳ったのですから、サービスなら“良くて当たり前”という認識を多くの患者が持ち始めていました。そして、ときを同じくして、医療現場で『患者様』呼称がはやり始めました。
 そして、やっぱりその頃からです、電話相談に届く声のごくわずかとはいえ、対応するときに強い違和感を覚えることが少しずつですが増えてきていました。「サービス業」という言葉が独り歩きしたせいかもしれませんし、なにやら患者の権利を履き違えてしまったのかもしれません。自分さえよければいいといわんばかりのわがままが、一部の相談者とはいえ、少しずつ目につくようになっていました。
 何度も繰り返すようですが、医療も看護も人と人の間でおこなう行為、営みです。『協働』とは「互いの足りなさを補い合う人間関係」のこと。もちろん私たち患者も足りない存在ですが、医療者にだって決して完璧な人などいません。お互い人間同士、足りない者同士です。そんな患者と医療者が向き合って、最後にはお互いに「出会ってよかった」と思い合える人間関係づくりこそ、私が理想と考える患者・医療者関係です。
 電話相談のなかに、「ドクターもナースも対応は良いんだけど、帰りがけの会計カウンターにいる事務職員の対応が実に横柄で……」といった苦情が寄せられることがあります。患者の気持ちは、まさに『100−1=0』なのでしょう。医療がサービスといわれるようになった頃から、とくに患者のまなざしが「マイナス」を探すようになってきた傾向があるように思います。その一方で「感謝する」という医療者に対する気持ちをいつの間にか忘れてしまったのかもしれません。主治医の変化の背景に思いをめぐらせながら、漠然とした患者の医療不信を払拭し、信頼関係を再構築するためにも、医療現場のドクターやナースの「心の余裕」が不可欠なことに思いを馳せました。もちろんスタッフ教育も大切ですが、やっぱりそこには「ヒト・モノ・お金」が必要なんだと改めて思いました。

コミュニケーション能力の高いクラークに和む空気

 診察が終わって、外来待合のベンチで次回受診予約の手続きを待っていると、外来受付のスタッフがにこやかな笑顔で患者さんとやりとりしている姿が私の目に映りました。病院では「クラーク」と呼ばれている事務系職員です。外来受付のカウンターで質問する患者さんと向き合って立つ彼女の横顔がじつに生き生きと好ましく、思わずじっと見入ってしまいました。
 そういえば……と、外来カウンターに初めて立ったその日の朝にこやかな笑顔で「お待ちしていました」と彼女が迎えてくれたことをふっと思い出しました。1年半ぶりの主治医との再会という診察前だったこともあって、多少の緊張をしていたのかもしれません。心の余裕のないまま、そのときは軽く会釈をしただけだったことも同時によみがえってきました。さりげなく彼女の対応を観察していると、一人ひとりの患者さんにじつに丁寧に向き合い、その周辺には穏やかで温かい空気が漂っているようでした。
 以前かかっていた国立系病院の外科外来の受付カウンターも同じようなオープン形式、しかも中にはつねに数人のナースが忙しそうに立ち働いていました。彼女たちは鳴り響く電話の対応に振り回され、いつも患者に背を向けていました。電話が終わったところで間髪いれず、「あの〜」と声を掛けるのですが振り向いてもくれないことが何度もありました。7つも8つも並ぶ診察室のドクターから呼び出されでもしたのでしょう、患者の声など聞こえていないかのように目も合わそうとせず、バタバタと走って行ったままなかなか戻ってはきません。
 徐々にカウンターには長蛇の列、患者一人ひとりがそれぞれに自分のことで精—杯なのですから、その形相も必死です。そのうち誰か一人がブツブツ文句を言い出し、誰のせいでもないとわかってはいても場の雰囲気が妙に殺伐とし始めます。と、そこにようやく戻ってきたナースに患者が嫌味の一つも言った瞬間、ナースは撫然として、感情を押し殺したとげとげしい対応となるのです。その後に並んでいる患者にまで不満気な雰囲気が伝播する、そんなことが日常的に展開されていました。慣れてしまうのか、こんなもんだと諦めてしまうのか、長時間外来受付でじっと黙ってナースの手の空くのを待っていたことまで思い出しました。
 下町の地域に根ざした病院には、昔で言う下駄履きで通院するような気楽さがあって、病院内の雰囲気はたしかに違うものを感じます。その病院の受診システムは、まず最初に総合受付で予約票と診察券を提示。コンピュータの打ち込みなど一連の手続きを経てから採血、予約した諸検査(MRI、CT、マンモグラフィなど)を済ませ、そのあとに外来に向かうという流れです。玄関入り口横の受付カウンターにいる事務職員が押しなべて優れているふうはないだけに、あくまで個人の資質の問題かもしれません。しかし、それにしても外来カウンターの彼女のコミュニケーション能力は光っていました。エレベーターのドアが開くと視線を向け、降りてくる患者さんを「お待ちしていました」と笑顔で迎える彼女の横顔を眺めながら、<やっぱり、この病院に変えてヨカッタ!>と和む気持ちでした。

※これは2004年の出来事です。