辻本好子のうちでのこづち

No.113

(会報誌 2004年8月15日号 No.168 掲載)

私と乳がん㉗

1クール目の抗がん剤治療 —回復の兆しまで—
まさに“泥酔”状態

 初めて抗がん剤の点滴を受けた翌朝、どうやって外出の支度をしたのか、そのとき吐き気があったのかどうか、新大阪までどうやってタクシーに乗ったか、思い出そうと思っても何一つ思い出せません。ただ断片的に思い浮かぶのは、新幹線が名古屋に着いていることがわかっているのに……、下車しようと焦っているのに………まったく身体が言うことをきかなかったこと。そして、私を見下ろしている3人の車掌さんの白い夏の制服と、中に若くてかっこいい背の高い人がいたなぁ〜ということだけはなぜか鮮明に覚えています。そうしてつぎに思い出すのは、どこかに運ばれたらしく、そばにいるおばさん(?)が<うるさいなぁ〜>と思いながらトロトロと眠っていたときに山口の顔を見てホッとしたことです。
 泥酔してタクシーで家に帰った人が、翌朝、目覚めたときに何も覚えていない、ということがあるそうです。運転手に行き先を正しく告げているから、ちゃんと自宅にたどり着けているわけだし、家族や周囲に迷惑をかけていないとなれば、料金だってちゃんと自分で支払っているはず。本人は、そのときどき、それなりの対応をしてはいる。それなのに——。まさに今回の私の体験は、ほとんど泥酔状態と同じで、翌日はもちろん、詳しい状況を知った今もほとんど何も思い出せないのです。

翌日は後悔と反省、吐き気で……

 再び新幹線で新大阪に戻る途中の山口とのやり取りもみごとに断片的で、自宅までどう運ばれたのやら。ただ、心配顔の山口を見送ってドアを閉めたあと、玄関の上がりかまちにへたり込んで、<どうやら、とんでもない迷惑をかけてしまったらしい>ことだけが、ボンヤリと理解できてきました。と同時に、車中で「明日から2日間の仕事はキャンセルしてあります」と言われてホッとする一方で、仕事のできない自分なんて<何の価値もない!>という気持ちにもなっていました。申し訳ない思いと、自分が自分でなくなってしまうような、なんとも情けない気持ちで立ちあがれなくなってしまい、しばらく呆けたように玄関先に座り込んでいたことは、不思議に鮮明に記憶に残っています。
 その後だろうと思うのですが、電話がかかってきたらしく、これにもちゃんと対応したようです。友人が心配してかけてくれた電話だったようですが、じつはそのとき何をしゃべったのかはまったく覚えていません。後日、その友人から「あのときは、まるで別人のようだった。何を言っているのかよくわからなかったけれど、普段なら絶対に言うはずもないような“本音”を泣きながらぶつけてきた」とのこと。そう言われても本人にはまったく記憶がないのです。じつは、そのとき何を叫んだのか、未だ怖くて詳しく聞き出せてはいません。
 点滴を受けた夜に寝つかれないまま、勝手な判断で服用した安定剤「リスミー」の影響がかくも大きく、自分自身を見失うばかりか、周囲にとんでもない迷惑までかけてしまうことになろうとは——。決して抗がん剤を甘く見ていたつもりはないけれど、改めてその威力を痛感させられる思いでした。「仕事は絶対に休まない!」などと豪語していた私も、まさに青菜に塩。翌朝は後悔と反省、そして、吐き気でグッタリでした。おそらく酔っ払いの二日酔いもこんな気分なんだろうなぁと思いながら、しばらくは<じっとおとなしく、家で過ごすんだよ>と自分に言って聞かせるしかありませんでした。

食べたいものを食べるのが回復の早道

 10数年も前のことですが、山口が抗がん剤の副作用と闘って苦しむ姿が、未だ私の脳裏に鮮明に焼きついています。そんなこともあって、正直、抗がん剤の副作用の吐き気には、かなり強い不安を抱いていました。しかし、あれから10年以上たった日進月歩の医学の発展、とくに吐き気止めの効能の進歩は著しく、思っていた以上にコントロールされていることにホッと胸をなでおろす思いでした。しかし、それでもやっぱり、あらがいようのない倦怠感が私の日常を奪うことは事実です。そして、身体を動かすたびに始まるシャックリだけは、自分でどうすることもできませんでした。
 それでも、まさに“日にち薬”。2日目より3日目、そして、3日目よりさらに4日目と、嘘のように倦怠感が薄れてきて、食欲まで回復し<おいしいものが食べたい〜>という晴れやかな気分になってくるのです。食いしん坊の私は、そんなときも食欲から戻ってくるらしく、真っ先に目に浮んだのは事務所近くのうどん屋の手打ち細うどん。そうめんは用意してあったのですが、副作用からよみがえった最初の一口は<なんとしても、あの細うどんでなければならない!>。しかし、炎天下に出かける気力もないし、もし貧血でも起こして倒れたら、また迷惑をかけることになる——。
 もちろん、迷わなかったわけではありません。ずいぶん逡巡しました。しかし、回復後の食欲のワガママには勝てませんでした。<エエィ、こうなったら迷惑のかけついで。ごめんなさい、許してネ>という気持ちのまま「もしもし」。気がついたら受話器を握って、私の『いのちのホットライン』に電話をしていました。山口は食欲が戻ったと聞いて飛びあがるような喜びを電話で伝えてくれたあと、ものの1時間もたたない内に“出前”をしてくれました。聞けば、その店は一切テイクアウトはしていないらしく、そこを無理矢理、「抗がん剤の副作用でまったく食欲がなかったけれど、回復してきたら、どうしてもこちらの細うどんを食べたいと言うので」と山口が頼み込んでくれたとか。お店の人は気持ちよく聞き届けてくれ、その後、山口が昼食に行くたびに“特別の笑顔”で歓迎されるそうです。