辻本好子のうちでのこづち

No.107

(会報誌 2004年2月15日号 No.162 掲載)

私と乳がん㉑

自己決定のために再度求めた説明
東京から病院へ直行

 金沢でセカンドオピニオンを得た翌日が名古屋。薬学部の講義を済ませたその足で東京へ。退院して1ヵ月しか経っていないのに7泊8日の出張。それがどんなに無謀なことかは先刻承知。でも、私を待ってくれている仕事がある、役割がある、という実感が何よりの私の支え。病気と向き合う気力、免疫力を高めてくれるクスリそのもの。しかし、さすがにこの日の夕方はしんどくなってきて、早めにチェックインしてホテルのベッドでひたすら体を休ませました。
 翌6月7日、この日は朝9時から10時まで市ヶ谷で全国自治体病院の事務長さんたちの研修会。COMLの電話相談に届く患者や家族のなまの声を紹介しながら、素直な気持ちで「いま患者が医療に何を望んでいるか」を語りました。1時間で話を終え、そのあと多少の質疑応答があって、挨拶もそこそこに東京駅へ大急ぎ。そして、10:53発の「のぞみ」に飛び乗っていざ大阪へ。
 ちょうどそのころ大阪では、山口が外来受診の手続きをしてくれていました。次回の予約が6月27日になっていたので、それ以前の受診となれば、当然ながら改めての手続きが必要です。11:00頃に受付をしておけば、おそらく診察は14:00頃になるはず。私が新大阪に着くのが13:30頃。大急ぎで病院に駆けつければ間に合う——。経験と知恵と工夫で目論んで計画した、二人の連携プレーです。
 新大阪に着いて、はやる気持ちでタクシーに飛び乗り、病院へ一目散。外科外来の待合室に山口の姿を見つけたときは、それまで張り詰めていた気持ちが急にヘナヘナと萎え、感謝の気持ちで一杯でした。それから、さらに待つこと2時間。 16:00をまわった頃、ようやく「辻本好子さん、お入りください」という主治医のアナウンスがあって、山口と二人して神妙な面持ちで診察室に入りました。

化学療法中、どこまで仕事が可能か?

 当時、乳がん術後の化学療法には「AC」「FEC」「CAF」など、薬の頭文字で組み合わせを表現する複数の方法がありました。セカンドオピニオンを求めた金沢のドクターは、私が仕事を続けながら治療を受けるつもりなら「副作用のきつい6クールのFECよりも4クールで終わるACの方がいいのではないか」とアドバイスしてくれました。
 希望して求めたはずのセカンドオピニオンが主治医とは異なる意見だったため、迷いは一層深くなっていました。しかし、その一方で、いつまでもグチグチと迷っている自分が不甲斐なく、さっさと決められないことに腹立たしい気分にもなっていました。新幹線に乗ったとき、心密かに<今日は絶対にはっきりさせるぞ!>と固く誓っていたのです。
 診察室で向き合った主治医に、再度、「FEC療法」の認容性試験の説明を求めました。
 主作用の有効率は30%。副作用としては、骨髄抑制で白血球や血小板の減少と貧血が70〜80%出現。その他、胃腸症状として悪心や嘔吐、下痢の可能性も。さらには脱毛、発疹、腎・肝障害、心臓毒性など、決して軽いものではない。箱の中に腐ったリンゴがあると、正常なリンゴまで腐らせてしまう『腐ったリンゴ』の例え話を図に描きながら、「残っているがん細胞を殺し、増殖を抑えるのが目的です」。ゆっくり、丁寧に、しっかり私と向き合って説明してくれました。
 乳がんは化学療法にとてもよく反応するがんの一つであることも、また2回目の説明だけに具体的な副作用のイメージが鮮明に浮かんできます。しかし今回、どうしても確認しておきたいことは「私」という個別状況で、治療中にどの程度の仕事が可能か。出張先で倒れるような危険があるのか。もし仮に、そんなことがあった場合、どうすればいいのか、という質問をしたかったのです。
 じつは主治医の方針もあって、検査や治療に関するデータや経過など医療情報は、それまでにもすべて手渡されていました。私は、出張先にも必ずそのファイルを持ち歩いていました。主治医は「今後も必要な情報はすべてお渡しします。もし、出張先で何かあれば、どこでもいいから近くの病院に飛び込んで、そのファイルを見せ、僕に連絡してもらえばいい。日本の病院であれば、いつでも連絡は可能なはずですから」。仕事を最優先する生き方にこだわる私を理解したうえで、最大限の支援を約束して寄り添ってくれる。一つひとつ具体的な対応を示した説明で、不安が薄らぎわだかまりが溶けて行きました。

主治医に賭けてみたい!

 「研究とは、人がやっていない新しいことを見つけることなんです」。乳がん治療に対する熱い思いを正直に語る主治医の言葉で、私の心はグラリと大きく揺れました。それでも同意書へのサインを躊躇している私を急かすでもなく、じっと待ってくれています。そのとき私の脳裏には、化学療法に苦しんだ友人の、がん末期の苦しみと闘って逝った幾人かの大切な人たちの姿が目に浮んでいました。
 <よ〜し“あるがまま”を受け入れてみよう。これだけ熱心に乳がんの治療に取り組むドクターと出会ったことは、神様の仕業かもしれない。認容性試験にボランティアとして参加してみよう。他の人が体験した苦しみやつらさを知ることで、患者の思いをもっと深く理解できるかもしれない。病に苦しむ人々と心が通じ合えるかもしれない>と、突然、勇気が湧いてきたのです。
 じっと穏やかな表情で私の返事を待ってくれている主治医に「賭けてみたい」という気持ちになりました。