辻本好子のうちでのこづち

No.076

(会報誌 2001年6月15日号 No.130 掲載)

どう思いますか? “様呼称”

どうも落ち着かなくて

 たとえば病院長と向かい合って話をするようなとき、数年前まで、ほとんど「患者は——」と語っていた彼らの言葉が、最近、「患者様」に変わりつつあります。もちろん自然に聞こえる場合もありますが、どこかに無理があって、話しているうちに違和感を覚え、落ち着かなくなってくると、私は話の途中で「どうか様ではなく、さんで」とお願いすることにしています。そうですか、それではと「患者さん」に変わった途端、話の雰囲気がガラッと変わることもあれば、いいえ、うちのオリジナルですから(?)と胸を張られて、会話をつづける気がしなくなったこともありました。
 以前、本誌で、「センターだより」なんだから軽口でもいいと甘えた気持ちから「最近、流行っている様呼称」と書いたとき、読者のある院長から厳しいお叱りを受けたことがあります。すぐに言葉がすべったことのお詫びと、それでもやっぱり違和感を抱いてしまう私見を書いて手紙を送りましたが、それからもずっとこの問題が私の心をとらえています。
 “時代が変わっても、人の意識というものはそんなに急に変われるものではない”。これは下の世代から、つねに「言ってることとやってることが違う」と批判される団塊世代の一員でもある私自身が、理想と現実のハザマで苦しむときに感じること。そして、大都市から離れた地方からの電話相談や受け身から抜けきれない多くの高齢者の患者体験からも。さらには医療現場で一番意識の変わりにくいといわれている、古き良き時代に育った世代のドクターとの会話などから、いつもいつも痛感させられていることです。
 1960年代の医学界が描かれた『白い巨塔』(山崎豊子著)を読んで、40年間、何も変わっていない意識・文化がはびこる医学医療の世界に改めて驚かされますが、それほど変わりにくいのが医療現場の意識と現実であるということ。それを「患者様」という言葉で“ちゃら”にしようとする脆弁のように聞こえてしまうのは、多分に私の思い過ごしだろうと反省はするのですが——。

形だけではない希望を取り戻したい

 医療事故・ミスの報道が相次ぐなか、厚生労働省の医政局と医薬局合同の「医療安全対策検討会」が立ちあがり、5月18日に第1回の審議会が開かれました。その席で、なぜ患者の立場の私がここにいるのかを問うと、「これからは患者が単に守られるだけの立場でなく、自ら医療事故・ミスから身を守る主体性が必要」という見解が明確に示されました。体のいい責任転嫁と批判する向きもあろうかとは思いますが、患者の主体的医療参加を目指してきたCOMLとしては時代の幕開け、ようやく緒に着いたと前向きに受け止めています。
 対立でなく、協働することで医療に希望を取り戻そうとする動きが始まったばかり。そんな矢先、たしかに思いの深い医療者や医療機関が存在することは重々承知ですが、管理職が決めた上からの命令で形だけの「患者様」が一人歩きしたり、笑顔もない言葉だけで持ちあげるような医事課職員やナースの対応を目の当たりするのも一方の現実です。ほんとうに患者一人ひとりが「様」と呼ばれることを望んでいるのか、あるいは、どう感じているか。率直な意見や感想を述べ合ってみることが大切です。
 先月、本誌読者の皆様にもっと意見を寄せて欲しいとお願いをしましたが、第一弾として「様呼称」についてのご意見、ご感想をお寄せください。