辻本好子のうちでのこづち

No.070

(会報誌 2000年12月15日号 No.124 掲載)

20世紀に遺して行きたいもの

医療がどんどん変化するなかで

 いよいよ21世紀の幕開け。果たして患者を取り巻く医療は、どんな変貌を遂げるのでしょうか?
 たとえば国立病院・療養所の統廃合が2004年を目標にしているように、医療にもどんどん競争原理が導入されて民間病院の淘汰という深刻な状況も避けられない問題になるでしょう。また急性期と慢性期の病床区分が急速に進むことで、患者が受けたいと思う医療がどんどん遠くなるかもしれません。そしてITの利用による医療ネットワークの広がりが、カルテ開示やインフォームド・コンセントの徹底にどう影響し、電子カルテがどんな利益を患者にもたらすのか。さらにはゲノム解析による新たな医療推進で思わぬ予防医学の仕掛けが待っているかもしれないし遺伝子医療が私たちのQOL(生命の質)にどう影響するのか。まさに驚くような未知との遭遇が待ち受けているに違いありません。しかし、膨らむばかりの国民医療費や少子高齢社会の医療問題など、21世紀に持ち越す課題は山積みのままです。
 そんな中で、どうしても21世紀に持ち越したくない、なんとしても20世紀に遺していきたいものは何だろうと考えみたら、あるわ、あるわ……。
 筆頭はいうまでもなく『パターナリズム(父権性温情主義)医療』、つまり有無を言わせぬ医療者からの上下関係の押しつけと、患者の「お任せ」という遠慮と甘えの意識です。つぎに医療現場の『ヒエラルキー』。いわばドクターを頂点としたピラミッド形の身分序列による医療者の階級組織。ナースや薬剤師などドクター以外の専門職が、もっと誇りを持って堂々と患者に自らの役割を明確に示し、患者の自立支援に力を発揮して欲しいと思います。そして、『ムンテラ』という医療者が日常的に使う医療用語。もう一つは外来診療における構造上の問題である『中待合』です。さらに、さらに……と考えれば、切りがないほどつぎつぎと浮かんできますが、今回ほとりあえず『ムンテラ』と『中待合』の問題に焦点を絞ってみたいと思います。

古い医療体質を表す言葉とシステム

 『ムンテラ』は和製ドイツ語といわれる医学用語で、ムントが「口」でテラピィは「癒やす」の意。しかし実際、医療現場で使われるときには、口で癒やすというよりむしろドクターの考えを一方的に患者に押しつけるという語感があります。私は「口で騙すのでは?」とさえ思っていますが——。
 昔、ムンテラ医者といえば口先だけの医者という悪口だったとか。それがいまでは臨床実習で医療現場に出た医学生や看護学生たちまでもが口にし、カルテや看護記録にも頻繁に登場します21世紀は患者の「選択」「自己決定」がさらに厳しく求められるようになるのですから、なんとしても「ムンテラ」という言葉は死語にすべきだと私は思っています。
 そして二つ目の『中待合』の問題は、外来診療における患者のプライバシーをいまも侵害している悪習の一つ。つぎつぎと患者をさばくため、流れ作業のベルトコンベアからヒントを得たような大量生産的医療の発想。まったく患者の人権を無視したシステムです。中待合にいると診察室のやりとりが否応なく耳に入ってきて、前の患者さんが「胃がんの手術をした人らしい」「糖尿病がずいぶん進んでいるのに自覚できない人らしい」ことまで、知りたいと思わなくても聞こえてしまいます。
 と、いうことは、つぎの人に自分の話も全部聞かれてしまう。だったら、あの質問はやめておこう……と、患者が後ろ向きの心の準備をする場所になっているのが実情です。これでは患者の選択や自己決定の行動変容も思うように進みません。まず診療上の構造の問題を解決することが先決です。
 死語にしたいとわずかに挙げたキーワードのなかからも、古い医療体質がどんどん浮かんできます。言葉やシステムも人の意識を育むものです。さて、さて、あなたが20世紀に遺したいものは?