辻本好子のうちでのこづち

No.061

(会報誌 2000年2月15日号 No.114 掲載)

提案!「高額療養費制度の見直し」

二つの立場性の矛盾

 安全で、安心し納得できる医療を、できるだけ安い医療費で受けたい……。1961年に国民皆保険が整備されて以来、私たち患者の誰もが“当然”のように期待してきたこと。ところが今年に入ってからも医療ミスの報道が相次ぎ、いわゆる安全神話はもろくも崩れ、国民の医療不信は募るばかり。そして安心と納得についても、一向にインフォームド・コンセントの進展は見られません。ましてや財政破綻のあおりを受けて患者の自己負担はふくらむばかり。それなりに守られてきた高齢者の医療費負担の方向性には唖然とします。
 本誌企画で患者負担増に対する意見を募集し、じつにさまざまな立場の方々から、じつに多様なご意見が寄せられました。改めて本誌読者層の幅広さと奥深さを痛感させられています。その中には医療・福祉制度の貧困という行政への憤りがあり、また患者の自覚を促す意味からあえての還付制度導入、つまりかかった医療費の全額をとりあえず支払うようにしてみてはどうか……など、厳しい提言も寄せられています。もっともこの案については、絶対に医師会が大反対するでしょうけれど‥…。
 そもそも医療政策の構造的な問題ということでいえば、“患者”の立場としては「できるだけ最高の医療を受けたい」、“国民”の立場では「最低の負担を望む」という両方の立場性が「私」の中に同居していることにあるのではないでしょうか。つまり患者になれば誰もが少しでも有効で安全性の高い医療を安く受けたいと思うその一方で、高い税金や保険料を収めている国民の立場としては国民総医療費30兆円の負担をできるだけ少なく留めたいと考えるわけです。一人の気持ちの中に両方の意識が混在する矛盾というか、どうにもならない無理難題がひそんでいるのですから、簡単に答えを出せるはずがありません。

ターミナル医療をコスト意識で検証

 とはいえ、なんとか改善策はないものか……。あれこれ考えるうちに『医療費の約8割は、全体の四分の一にすぎない高額療養費の患者によって使われている』という文章に目が止まりました。さらに『これらの患者の多くは、高額療養費制度によって救済されている』とつづきます。ちなみに高額療養費制度というのは、医療費負担がかさむことによって必要な医療が受けられなくなるのを防ぐために1カ月当たりの負担限度額を63,600円とし、これを超えた医療費は、還付請求することによって医療保険から払い戻される」というシステムです(7月からは一定全額以上の1%負担や高額所得者の限度額引き上げなど、さらに患者負担が大きくなるようです)。
 そこで私からの提案は、まずはこの高額療養費制度を見つめ直してみようということです。例えば、抗いようのない死、つまりターミナルの現実を目の当たりにした家族は、決まって「先生、できるかぎりの治療をお願いします!」と叫びます。どんなに患者本人が事前の意思として無駄な延命医療はいらないといっていたとしても、です。
 もちろんターミナル医療のすべてが無駄、というわけではありません。しかし、いくら膨大な医療費になっても、結局のところ患者側の負担は上限(現行)63,600円。となれば、何のコスト意識も持たずに「できるかぎりのことを……」という要求をしても、それ以上に懐は痛まない仕組みで問題意識が希薄になってしまっているのではないでしょうか。あくまでも家族が「後顧の憂いをいだかないため」。いわば遺族の自己満足のために、限りなく莫大な医療費が使われている現実の周辺を検証してみることも必要ではないか、と私は思うのですが……。