辻本好子のうちでのこづち

No.054

(会報誌 1999年6月15日号 No.106 掲載)

戴帽式に参加して

 看護学校の戴帽式に初めて参加し、言葉では言い尽くせない大きな感動に出会いました。
 5月12日はナイチンゲールの誕生日。数年前から日本ではこの日を「看護の日」に設定し、あちこちで関連の記念行事が繰り広げられています。
 私はこの日、日本医科大学千葉看護専門学校でおこなわれた戴帽式に参加。2年生83名が厳粛な雰囲気の中で、憧れのナースキャップを頭に載せる儀式に立ち会うという貴重な初体験でした。

若者の喜びと緊張に感動

 テレビのCMで戴帽式をご覧になった方も多いと思います。CMでは看護学生の臨床実習の場面が登場し、患者さんとのふれあいが描かれた後に暗闇の中に学生の姿が浮がんで、ナースキャップを頭に戴き、火をともした蝋燭を手にナイチンゲール像を仰ぎ見るというシーン。演技とはいえ、清楚なナースの卵役の瞳がキラキラと輝いている、とても印象深いCMです。
 ところで、何か感動的かというと粛々とおこなわれる儀式という非日常に酔ったことももちろんですが、それ以上に自分で選んだ人生を「確かにこの道でいいんダ!」と強い確信に押し上げようとする瞬間の若者たちを目のあたりにしたこと。そして、仲間たちと一緒に力強くその一歩を踏み出そうとする緊張の雰囲気から、彼らの喜びと緊張が痛いほど伝わってきたこと。さらには、今日までの彼らの成長を見守り、育んできた父兄や教師を思うだけでも涙が溢れて困りました。

プロになる“通過儀礼”

 キャンドルを持って暗闇の会場を行進する。ちょうど結婚式のような晴れやかさ、だけれどちょっと違うゾという厳粛な雰囲気。そんなムードに酔っただけ、といってしまうにはもったいない大きな何かを感じさせられました。その秘密は、式のすべてが学生の“手づくり”ということにあったようです。
 1年前のこの日、先輩の戴帽式に参列した後で「私たちの式は私たちの手で……」という意見が出され、10名の『看護を考える日委員』を選出。委員を中心にまずはキャップの意味を考えることからスタート。昨秋からは戴帽式の必要性について全員で議論する中で、「自分の気持ちや意志、ナースになる自覚を新たにする機会にしたい」「この日の気持ちをいつまでも忘れないために」という目的を確認して半年かけ、思いを形にする計画を全員で進めてきたといいます。
 たとえばナイチンゲール精神の唱和ではなく、自分たちの言葉で気持ちを表現したいと、まずは一人ひとりの気持ちを言葉に置き換える作業。それを集約して『決意の言葉』にまとめました。また合唱も押しきせの曲ではなく、自分たちの気持ちを表わす歌をということで、『未来へのプレゼント』と『TOMORROW』の2曲を選びました。自分たちが選んだ責任もあってか「練習に励むなかで、だんだんに気持ちが一つになった」と。
 残念ながら、昨年までの式典を知らない私は、これ以上の違いを挙げることができません。けれども頬を紅潮させ、目に涙をためている一人ひとりの横顔を見ながら、本当に今日の儀式の「主役になっている!」と熱い気持ちにさせられました。
 院内感染(MRSA)対策などでナースキャップをはずす現場の動きや、すでに戴帽式を廃止した学校もあると聞きます。キャップや儀式の是非論も大切ですが、ときには“通過儀礼”がプロ意識の自覚とそれを支え続けるエネルギーになることもあることを考えると、大事にしてもいいのでは……とも感じさせられます。