会報誌
会報誌
市民・患者・医療者など、さまざまな立場の人のメッセージやCOMLに届く相談内容、医療の制度・しくみ、活動報告などを盛り込んだ情報誌です。会員の方に毎月15日に発行しています。皆さんも、誌上で意見交換しませんか?
内容については下記の見本誌(PDF)や、最新号目次をご覧ください。
より詳細な内容は、会員になっていただくと毎月15日に発行していますので、ぜひ皆さんも会員になってください!!
見本誌(PDF)
会報誌の過去の記事を再構成し、そこにCOMLからのメッセージを加えたものです。
最新号目次
2026年1月15日号 No.425

- COMLひとことインタビュー
-
がん告知は一般的になりましたが、「伝えればいい」という話ではありません。
國頭 英夫さん(日本赤十字社医療センター 化学療法科 部長)
- COMLに届いた相談から
-
丁寧な説明もなく意味不明な追加料金
何度も怒鳴られ手術に迷いが…
- こころにとまったこんな取り組み ①
-
SATOMI臨床研究プロジェクト(SCP)
日本赤十字社医療センター 化学療法科 部長 國頭英夫さん
- こころにとまったこんな取り組み ②
-
荻窪病院のデジタル化推進
医療法人財団荻窪病院 院長 布袋祐子さん
- ハーフ病院探検隊 第109弾!!
-
東京都立多摩北部医療センター(東京都東村山市)
- COMLメッセージ No.175
-
高額療養費制度とOTC類似薬の保険適用除外の「その後」
- カンパありがとう名簿
-
2025.12.1〜2025.12.31
竹中小夜江、草野茂子、匿名3名
(敬称略。資金カンパや切手・はがきなどの物品カンパ、技能ボランティアなどのご支援をいただいた方々です。) - センターだより
-
あけましておめでとうございます
マンションの同じフロアに住む友人から、ある芸能人のエッセイを読んでほしいと勧められました。その友人とは波長が合い、毎朝子どもを見送るついでにおしゃべりをするのが日課になっていて、それでも足りずにたまにお昼ご飯を一緒に食べています。お勧めされたエッセイを読んだところ、まさにこの関係を表しているかのような内容でした。誤解されることなく、安心してたわいもない話をできる友人が近くにいる喜びを、同じように感じてくれていたんだなとわかり、とても嬉しくなりました。いろいろなことが身の周りでも起きますが、今年も身近にある幸せを大切に過ごしていこうと思います。2026年もどうぞよろしくお願いいたします。(彩)
今号の「ひとことインタビュー」の取材で伺った病院は、多発性骨髄腫を患った私の母が7年半闘病し、緩和ケア病棟で最期を迎えた場所でした。久しぶりに訪れ当時のことを思い出しました。緩和ケアへの移行の難しさが言われていますが、母の場合はとてもスムースでした。新たな治療をしないと決め、血液内科の主治医から緩和ケア科を紹介してもらい2つの科の外来にかかっていたところ、自宅近くで骨折したので入院し、数日後に緩和ケア病棟へ移りました。血液内科の主治医はそこにも足を運んでくれたので母はとても喜んでいました。そのドクターは母が亡くなったときも病室に来てくれたのです。有難かったといまでも思っています。(朝)
渡米して早いもので5ヵ月が経ちました。住民登録や銀行口座を開くこと、ライフライン契約や高校生の娘のサポートなど、生活の立ちあげは思ったより大変でした。一つ進めるのにも何種類もの公的書類が必要で時間がかかりました。ブロックを積むように生活を組み立ててきた半年。12月に仮免許が取れたのでつぎはいよいよ実技試験です。「アメリカでしかできないこと楽しんで! 」と送り出してもらったものの、これまでは余裕がなく特別なことはドジャースの野球観戦くらい。今年はぜひ旅行に出かけたいと思っています。ナイアガラの滝とヨセミテ国立公園は必ず訪れたい場所です。個性豊かな文化が集まる米国。いくつの州を巡れるのか楽しみです。(恵)
どのようなことを書こうか毎月悩ましいセンターだより。とくに今回は1月号なので、明るい話題にしたいなと考え込んでしまいました。そこでAIに相談してみたところ、新年らしく干支の話や今年の目標はどうか、正月太り対策も多くの人の共感を得られるのではという回答でした。もう少しおもしろい話題はないかさらに尋ねたところ、前回の午年にタイムスリップして12年前に流行したことなどを取りあげるのは? と提案してくれました。2014年は『アナと雪の女王』が大流行し、「レリゴー」「ありのままの」が流行していたそうです。いまでも人気のアナ雪にあやかって、今年も『ありのままの』私の日常を綴っていこうと思います。(明)
新しい年を迎えました。昨年は年女で「今年還暦を迎えます」と方々で言っていたので、実際に誕生日を迎えたときには「えっと…61歳? いやいや今日からが実際に60歳」と自覚し直したほど。それにしても、25歳の年に卵巣がんを発症したときには「3年生きる確率は2割」と両親は医師から告げられ、8ヵ月後に再発したにもかかわらず、還暦の年女を迎えることができたなんて、何とラッキーで強運なのかと昨年は何度も思いました。還暦の年が終わり、すでにつぎのステージが始まっています。これからは走るばかりでなく、少し余裕をもった人生になることもそろそろ考えようかなと新たな年に考えました。いったい何を加えていくのか、今後の挑戦です。(育)