辻本好子のうちでのこづち

No.132

(会報誌 2006年3月15日号 No.187 掲載)

私と乳がん㊻

放射線治療スタート!

 放射線治療の“位置決め”を終えたその足で横浜に移動し、翌朝10時からの「横浜市立病院あり方検討会」の会議に出席するため宿泊出張。夜、ホテルの洗面所の鏡に映ったのは、いまだ傷口も生々しい右胸から脇にかけて何本も黒いマーカーで書き込まれたマーキングの線。放射線治療の位置決めは結構手間のかかる作業ということもあってか、放射線技師からは「くれぐれも消さないように注意してください」と言われました。湯船にそっとつかりながら<明日から始まるんだ……>と、それなりの覚悟と緊張もあったからでしょう、妙に寝苦しい夜だったことが今でも忘れられません。
 翌日、会議終了後に大急ぎで新横浜に向かい、12時36分発の「のぞみ」に飛び乗って帰阪。15時30分から始まる第1回目の放射線治療にぎりぎりセーフ、いよいよスタートです。

重い負担を感じた回数と費用

 じつは手術前の検査で頚部にも怪しい影があって、念のためということで照射は二方向。2日目も頚部の位置決めがおこなわれました。リニアック室は室温20度に保たれ、さらに冷え切った鉄板に裸で横たわるのですから寒さで震えます。再び放射線科医と技師の3人に見下ろされ、まさに“まな板の上の鯉”状態。3人の「ああでもない、こうでもない」の吟味が続いたあと、放射線技師が神経質なほど注意深く、何度も何度も両肩の位置を確定したあと「絶対に動かないでください」。しゃべってもいけない、咳をしてもいけないと厳しいお達しがありました。そうして第1回目の照射が始まったのですが、この日も私の気持ちにそぐわないユーミンの軽やかなBGMが流れていました。
 部屋の明かりを消して、まずはビーム光線のような赤い光が上半身を這うように照射位置を確認します。そして、ジーッという音だけがして2.0グレイの放射線が私のからだの深部を狙います。手術で取り残されているかもしれないがん細胞を焼き尽くすわけです。しかし、熱くも痛くもありません。右胸の左側方向と右側方向から、狙いを定めた見えない放射線が30秒ずつ挟み撃ち、次に右首の付け根辺りに約1分。まさにアッという間、あっけないほどの速さで終了しました。
 寒々とした広い空間に「ハイ、楽にしてください」とマイクが鳴り響いたあとも、被曝を避けてか、なかなか技師は戻ってきません。それだけ危険を伴った治療ということなんでしょう。わずか数分の治療とはいえ土日を除いた25回、毎日の通院を余儀なくされるわけです。仕事もなく治療に専念できる立場であればともかく、仕事を続けながらの治療は考えただけでも結構しんどいもの。まだまだスタートしたばかり、最初の放射線治療が終わってずっしり重く遠い道のりを感じていました。
 会計窓口で3,170円を支払い、<3割負担で3,170×25回=79,250円>と計算してみて、改めて<やっぱり病気になるということは、お金がかかることなんだ……>と実感させられました。

技師の対応に違和感のアレコレ

 翌日からは基本的に8時50分の予約。病院に8時30分に到着して待つこと数分、始業最初の患者として照射を受け、会計を済ますと9時少し前には病院を出られます。となれば宿泊を必要とする仕事でない限り、それほど支障をきたさずにすみます。放射線治療が決まったときに、年末までの仕事はほとんど近畿近県、あるいは多少遠方であっても日帰り可能な日程調整をしてもらってあります。力強い支援で、安心して治療と仕事を続けることができました。ただ照射したあとはからだが重だるく、いつも移動の車中でグッスリ眠り込んでいました。乗り過ごしそうになって慌てたことも二度三度、今となっては懐かしい思い出です。
 たしか4回目か5回目の治療のとき、鉄板に横たわりながら「どうして(BGMが)毎日ユーミンなんですか?」と技師の一人に尋ねてみました。すると「ああ、コレは主任の好みなんです!」という答えが返ってきました。無表情だったこともあって、そのことを彼がどう思っているのかはわかりませんでした。しかし、患者の世代はさまざま。治療室はいわば公の場でもあるだけに、ここまで個人の好みを勝手に押しつけていいものなのかどうか。たかがBGM、そして個人的には嫌いなジャンルではないにしても、リニアック室に入って出てくるまで、好むと好まざるにかかわらず聴かされ続けるだけに今も鮮明に残っている違和感の一つです。
 ただ残念ながらどの人が主任だったのか、スタッフの誰一人自己紹介がなかったこともあって、とうとう最後までわからずじまいでした。名札を見ればわかるはず、と医療者は思うかもしれませんが、しげしげと名札を見つめることははばかられます。最初の日だけでいいから、きちんと自己紹介をして欲しいと強く感じました。
 複数の技師がいて、最初のころに担当してくれた人は体の位置を決めるにも慎重に慎重を期した丁寧な仕事ぶり。その丁寧さ、慎重さが、時にじれったく感じたこともありました。ところが4回目は初めて担当してくれた若手スタッフで、じつに手際よくテキパキと作業が早い人。それがかえって大雑把な感じがして<大丈夫かしら……>と、小さな不安がよぎりました。丁寧過ぎればイライラし、早すぎれば不安になる……。患者はかくも勝手なもの。翌日、再び慎重なスタッフで、ホッと安堵したことも強く印象に残っています。

※これは2002年11月の体験です。