辻本好子のうちでのこづち

No.129

(会報誌 2005年12月15日号 No.184 掲載)

私と乳がん㊸

抗がん剤治療最終回 長いトンネルから抜けられる!

 診察を終えて抗がん剤の調合を待つ1時間ほどの間、前回(5回目)の副作用で滅多打ちにされたはずの身体が3週後に見事に回復していたことがどうしても信じられませんでした。そして、白血球と好中球の値が改善していることを喜んでくれた主治医に、最後まで苦しかった前回の状況を伝えられなかったことも気にかかっていました。ただ、日を改めようという提案を蹴って無理強いしたワガママの結果という反省もあるだけに、言い出しにくかったのも正直な気持ちでした。

“愛”による白血球の復活

 点滴室から笑顔を覗かせて私の名前を呼んでくれたのは、いつもの外来ナース。ちょうど化学療法が始まったころに配属されたばかりのピカピカの新人。この3ヵ月、いわば3週ごとに定点観測でナースとしての成長を眺めてきただけに、どこかで母親のような気持ちになっている自分を感じていました。彼女がナースを目指したのは、母親の後ろ姿を見て学んだから。母親もナースで、ずっと現役で働いている方のようです。幼いころはかまってもらえない淋しさもあって看護という仕事を持つ母親が嫌いだった。しかし、成長するにつれて徐々にナースに憧れ、いまは母親を心から尊敬している。そんな話を点滴の管理をするたびに、私の問いかけにポツリポツリと語ってくれていました。
 そのナースに「今日は白血球が3200だったのよ!」と報告すると、キラキラと目を輝かせて「スゴ〜イ、良かったですネ〜」。そんな素直な反応が嬉しくて、いつもの気の重さはどこへやら。弾むような気持ちで最後の点滴台に身を横たえると、点滴ルートを確保する研修医がやってきました。彼女が、「先生、辻本さんです、よろしくお願いします。いつも白血球が低いのに今日は高かったって、喜んでらっしゃるんですよ」と背中に声を掛けるのですが、素っ気ない表情で「そっか、そっか」。それがどうした、といわんばかりの若い医者の反応に、私は心のなかで<もう少し、ものの言いようってものがあるでしょっ!>とつぶやき、心底がっかりさせられました。
 そして75分間、持参した大好きな「小椋佳」のCDを聴き、静かに優しく語りかける彼の唄に癒される“最後のひととき”にどっぷりと身を浸しました。
 それでも、点滴の間中ずっと、<どうして急に白血球が戻ったんだろう?>という疑問がぬぐいきれずにいました。そのときです、<あっ、ひょっとしたら>と、突然、幾人かの友人の顔が目に浮かびました。
 そういえば昨夜も「いよいよ明日、最後の点滴の日。よく、ここまで頑張った。気分が良くなったら美味しいものを一緒に食べようと、素敵な店を見つけてある」というメールが届いていました。また今朝も、バタバタと支度を急いでいる出掛けに「たしか今日で最後だったよネ。行ってらっしゃい!」という激励電話が何本もかかってきました。そうだった、あのとき<覚えていてくれたんだ!>と、ものすごく嬉しい気持ちになったことが、突然よみがえってきたのです。
 6月12日からスタートした抗がん剤の点滴が予定通り3週ごと6回、順調に行けば最終日は9月25日になるということを、彼、彼女たちは覚えていてくれたのです。その日を数えてカレンダーに印をつけてくれていたのか、手帳に赤丸でも記していてくれたのか……。そう思った瞬間、嬉しくて、嬉しくて、目頭が急に熱くなって涙が溢れ、止まらなくなってしまいました。少しキザな言葉かもしれませんが、そのとき私は、大きな『愛』を感じていたのだと思います。
 支えてくれる人がそばにいてくれる幸せ、私のことを心に掛けていてくれる人がいるんだという実感。その人たちの想いの力が、私の白血球を高めてくれたに違いないと気づかされ、妙に納得する気持ちでした。『愛』の力に支えられた復活という奇跡が、私の中にも起きたことを感謝とともにいまも心から信じています。

患者の個性に応えられる医療が必要

 最後の点滴から2日目、例によって、どうにもならない倦怠感に襲われ始めました。まずは口の中に違和感を覚え、それがだんだん強くなってくると、次第に唾を飲み込むのも辛いほどの痛みを伴う口内炎になります。回復も食欲から戻ってくる私ですが、副作用のスタートもいつも口の中から始まる。これも私の個性かもしれません。ただ、それまでと違って、とくに今回は激しい頭痛に悩まされました。そして、地の底から引き摺り下ろされるような感じは、どうにも抗いようがありませんでした。2日目の午後に3回嘔吐があって、やはり、しんどい……。それでも3日目の朝には、それまでの苦しみが嘘のように消え、少しずつ回復に向かう兆しを全身で確かめることができました。
 <ようやく終わる! 長いトンネルから抜けられるんだぁ〜!>と、こみ上げてくる喜びで目の前がパーっと明るく広がったことは、いまも忘れることができません。もちろん皆がみな、同じような副作用に襲われるとは限りません。まして最近は、ほとんど副作用を感じないほどにコントロールされていると聞いて驚いています。しかし、患者一人ひとりには個性・特性があって、そこにはそれぞれの必要性と要求が生まれてくるものです。
 たとえば、外来ナースにせめてもう少しの余裕があれば、事前に希望する患者には、最も苦しい2日目辺りに「いかがですか? 何かご心配なことは?」と電話の一本でも届けられます。それだけで、どんなに患者の孤独感が支えられることでしょうか。患者その人の立場に立つことはできないまでも、その心に寄り添うことはできるはず。そうした看護を実現させるためには、やはりナースの配置標準問題を今日に即して見つめ直すことが必要です。ささやかな患者体験から、患者を取り巻く医療問題が山積していることを改めて実感させられる思いがしました。

※この体験は2002年9月のできごとです。