辻本好子のうちでのこづち

No.110

(会報誌 2004年5月15日号 No.165 掲載)

私と乳がん㉔

抗がん剤治療初日!
1クール目の点滴終了

 2002年6月12日。カーテンで仕切られた、数台の寝椅子が並ぶ点滴室は満席(?)。どうやら、がん患者さんだけではなさそう。かなり常連らしい、気難しそうな男性が大声でナースを怒鳴りつけている声が丸聞こえ。そうかと思えば、新人ナースが「まだ、なくなっていませんネ」「もう少しですネ」と点滴滴の減り具合をたびたびチェック。そのたびにカーテンをちらりと開けて覗かれるので、かえって落ち着かない。「少しカーテンを開けておいてください」とお願いして、それから後は私の方から「まだまだ」「もうそろそろ」とナースに目で合図することにしました。観察されていることの安心と煩わしさ。患者とはかくもワガママな存在と自戒しつつも、医療の日常性に馴染めぬまま、もっとゆったりと落ち着けたらいいのになぁ〜と感じました。
 合計3つの薬剤パックが次々と取り替えられ、予定では2時間ほどと言われていたのに、初めての化学療法はほぼ70分で終了。薬局で「カイトリル」「ノバミン」という吐き気止めと、ステロイド剤「デカドロン」の調剤を受け、窓口での支払いは27,640円也(3割負担)。終わってみれば、なんてことはない。もちろん見た目の変化もなければ、とくに気分が悪いわけでもない。「大量の吐き気止めが入っているので、今日はそんなに辛くないと思いますヨ」のナースの言葉の裏を返せば、明日からは辛いということか。
 私の身体の中に強烈な抗がん剤が注入されたことは確かで、強い副作用は覚悟の上。何が起きても不思議はないし、すべて我が身で引き受けるしかない。いかに十分な説明で“納得”してはいても、見通しの立たない未知・未経験が、こんなにも人の気持ちを不安に駆り立てるとは……。意外なほど楽な気分で、ちょっと裏切られたような気持ち。その一方で、何が起きるか油断できないという緊張と不安。そんなないまぜの気分で地下鉄に乗り、家路を急ぎました。

始まった副作用——しゃっくりと吐き気

 抗がん剤の治療ごときで、気持ちまで“病人”になってたまるか。そんな気負いもあって寝床は敷かず、長椅子に枕を置きタオルケットを掛けてとりあえず横になりました。しかし、心配したような吐き気もなければ、倦怠感もさほど感じません。ふっと昼食を取っていないことに気づき、台所に立ってそうめんを茹でました。きりりと冷やしたそうめんが喉越しよく、この時もまた<な〜んだ、たいしたことないじゃないか!>。昼食後、それでもやっぱりおとなしく横になっていたほうがいいと、CDをかけながら本を読み始めるとトロトロと心地よい眠りの誘惑が訪れました。
 ふっと目覚めて時計を見ると2時間ほど眠ったようです。そういえば夕べはなかなか寝つかれなかったし、今朝からそれなりの緊張が続いていた。やっぱり少し疲れているんだなぁ〜と、いつになく優しい気持ちになっている自分に思わず<クスッ>。そして、トイレに立とうとした瞬間、なんとなく地に足が着いていないようなフワフワした感じと胸に何かがつかえているような違和感を覚え、いきなりしゃっくりが始まりました。
 <アレッ!? なんか変だ>と思ったと同時に急に吐き気に襲われ、昼に食べたものが形のまま逆流して喉を押し上げてきました。しばらくトイレにしゃがみ込んだまま立つこともできず、冷や汗が引くのを待ちました。吐いた後は割に気分はすっきりしたのですが、しゃっくりが止まりません。水を飲んでみたり息を止めてみたり。ようやく止まったとホッとするのもつかの間、ちょっと身体を動かすだけで再びヒック、ヒック。しゃっくりが止まらないことが、こんなにも苦しいものとは——まさに初体験です。とくに副作用の説明にはなかっただけに、<何だろう? どうしてだろう?>と不思議でなりませんでした。

食べられず眠れない初日の夜

 「抗がん剤治療中も、できればいつも通りに仕事を続けたい」という私の強い希望で、とくにスケジュールの変更をしないまま化学療法に入りました。とりあえず明日は10:40から名古屋の名城大学薬学部での講義があって、朝9:03の新幹線に乗らねばなりません。90分の講義内容は事前に準備してあったので、とくに心配はありませんでした。しかし、もやもやと一抹の不安が心をよぎり、長椅子に横になったまま何度も講義ノートに目を通しました。
 そうこうして、ようやく長い一日の夕暮れ時。めったに眺めることのないベランダからの美しい日没にしばし見とれ、<ああ、ほんとに“がん患者”になっちゃったんだなぁ〜>と、夕風に吹かれながら茜色に染まる空を眺めていました。
 昼のそうめんを吐いたことで、夜になってもまったく食欲がありません。しかし、<体力勝負、少しでも食べとかなきゃダメ!>と自分に言い聞かせ、用意してあったレトルトのポタージュスープと野菜ジュース、そして、パンを少々。テーブルに並べはしたものの、まったく食べる気がしない。それほど強いムカムカ状態ではないのだけれど、どうしても食べようという気になれません。
 結局、食べることは諦めて、明日に備えて早目に寝ましょうと床を敷きました。ところが2時間ほどの昼寝が影響してか、ちっとも眠れない。眠れないから、あれこれ考える。そうすると、ますます頭が冴えてしまう。そんなこんなの悪循環で、ふっと思いついたのが入院中に処方され、手元に残っていた安定剤の「リスミー」。手術後、眠れなくて困ったときに数回お世話になったクスリです。寝つけなくて悶々とするよりいいかと、思い切って1錠飲むことにしました。
 それが翌日、とんでもない事態を引き起こすことになろうとは、そのときにはゆめゆめ思ってもみませんでした。